全国環境教育ネットワーク
2001年夏 環境学習現地研修報告


 日教組全国教研第17分科会「環境と公害、食教育」に参加したメンバーを中心に、「全国環境教育ネットワーク」を組織している。このネットワークが主催して毎年夏、全国各地を舞台に環境問題をテーマに現地研修を実施している。今年で4回目。今年は8月8日から11日の日程で、前半を東京高教組・東京教組の方が、後半を神高教有志が担当して実施した。参加者は北海道から鹿児島まで、総勢約20名余り。神高教からも4名が参加した。

1日目 水戸集合 東海村へ
◆JCO事故現場周辺見学
 午後1時に水戸駅に集合した面々は、貸し切りバスで一路東海村、JCOへ。敷地のすぐ東側から、一昨年の事故現場周辺を散策した。この事故と周辺の状況については、これまでに神奈川高教組主催の現地ツアーが何回か企画されているので、それらのレポートを参照してください。本稿では
2つのことだけ述べてみる。
 一つは現場周辺の印象。現場周辺のあまりののどかさに、むしろかえって不安な気持ちになった。その不安とは・・・・放射能は目に見えない。事故現場周辺も、一見すると何の変哲もない風景なのだ。とても我が国で最悪の放射能被曝事故があったところとは思えない。現地の人を含め、事故を知る者がしっかりとその実態を伝えていかなければ、JCOの事故の記憶はすぐに忘れられてしまうのではないか、という不安である。
 ところで、私たちがJCO現場近くを見学していいたとき、事故後の処理を巡って地元で要望署名をしている近所の主婦の方に偶然にも出会った。原子力城下町としてこれまでなかなか声を上げられなかった反対派の運動がここでもようやく市民権を得てきたようである。
 もう一つは、新たな誘致計画。JCO敷地のすぐ隣に、日本原子力研究所・那珂研究所の広大な敷地がある。ここにいまITER(国際熱核融合実験施設)の誘致計画が持ち上がっている。日本では他に、苫小牧と六ヶ所村が名乗りを上げているそうだが、JCO事故後でも、ここ東海村では未だに誘致方針は変わっていないようで、その性懲りのなさに驚きあきれてしまった。

◆アトムワールド 再処理工場見学
 東海村ではおなじみの”観光施設・アトムワールド”。推進側が豊富な資金をつぎ込んで原子力開発のPRを行っている施設だ。各地のPR館を見るたびに感動するのは、何と言ってもその豊富な資金力である。各種の豪華なパンフレット類はもとより、遊びに来た子供たち向けにおみやげまで用意してある周到さ。アトムワールドの会議室で、核燃料サイクル開発事業団(旧動燃)東海事業所施設の概要説明を受けた後、核燃料再処理工場見学へ。
 この見学をするには、あらかじめ同事業団に職業・住所・生年月日など詳細に記述した申込書を送って許可を得なければならない。我々の一行には、専門家として原子力資料情報室の西尾莫氏も同行していた。その旨の届もしておいたので、何らかのリアクションもあるのかと野次馬的根性で期待していたが、格段の反応はなかった。しかし、そのせいかどうか、実際に現場を案内してくれた人の説明は、時間がないことを理由に細かい説明を端折ることの言い訳が多い、なおかつ、なんだか奥歯に物の挟まったような、やけにクドい説明になっていたような気がした。
 一行は服の上から、綿製の薄手のつなぎの上着を着て、専用の上履きに履き替え、専用の帽子をかぶって、放射線管理区域に入っていった。出入り口では、放射能汚染をチェックするためにハンドフットクローズモニターとよばれる放射能測定装置で手足の表面の放射能汚染レベルを測定する。そうやって入っていったところは、比較的低レベルの放射線管理区域で、実際の核燃料再処理をする作業区域にはいるには、さらにもう一回着替えをして、こんどは多少重たいつなぎの服に着替えなければならないそうだ。今回の見学ではそこまでは入らなかった。
 見学ルートは、実際の作業現場の周辺をぐるぐるとまわっているので、曲がりくねってとても複雑。迷子になったらなかなか戻れそうにない。建物の中の壁や天井、そこいら中に大小様々なパイプがおかれ、複雑な印象をいっそう募らせる。

◆現地交流会
夜、東海村のコミュニティーセンターでJCO事故で被曝した大泉さん親子と交流会を持った。
 大泉さんのお父さんの方は、事故の時JCOのすぐ隣、事故現場から直線距離にして200mも離れていないご自分の会社の工場で作業をしていて被曝した。事故が起こったのは1999年9月30日午前10時35分。しかし、JCOの敷地のすぐ近くにもかかわらず、大泉さんの工場周辺の人々に連絡が入ったのが午後1時10分。それも、窓を閉めて屋内に退避せよと言う指示。午後4時30分、ようやくバスでコミュニティーセンターへ避難したそうだ。その間、現場では臨界状態が続き、中性子線を含め、放射線がまき散らされていて、当然大泉さんら周辺の住民は被曝した。
 ちなみに、被曝した人たちの中には現場から500mほどのところにある、本米崎小学校の児童91人もいた。その児童らが、下校したのはほとんど通常通りの午後3時。現場周辺では雨が降っていて、その雨の中を子供たちは下校した。放射性物質の漏れ方次第では、雨によって被曝の危険性が格段に高まることもある。ほとんど何の情報も与えられないまま、子供たちが家路についたという事実に、今更ながら愕然とした。
 大泉さんの話によると、被曝した本米崎小学校のPTAでも、JCOの責任追及などで活動しているのは10人ほどしかいないという。所謂原子力城下町でPTAの中にも原子力産業の関係者が多いからかもしれないが、一般の住民の中にも風評被害をおそれて事故のことを隠したがる人が多いという。科学技術庁が被曝手帳の交付を考えたそうだが、地元の反対で取りやめたそうである。いわく、東海村から嫁をもらうな・・・・。
 事故後の補償問題に関しては、風評被害対策としてJCOが負担して145億円が支出されたそうだが、被曝者に対する直接補償は一切ない。放射線取り扱い事業は、政府の認可事業であるから、科学技術庁をはじめ、行政官庁にも監督不行届の責任があるはずだ。だが、その科技庁による補償はもちろん謝罪すらないということに、大泉さんらは怒りを抑えきれない。
 地域の医療機関は推進側に丸め込まれているので、被曝によるとしか考えられない障害がでていても、事故との因果関係を認める診断書は絶対に出さないという。具合の悪くなった人は、身銭をはたいて放射線障害治療で実績のある大阪の阪南中央病院や東京医大病院へ通院しているという。
 原子力開発の推進にはお金を出しても、事故補償には全く無責任な科技庁をはじめ、当局に対し、大泉さんたちは被害者の会を結成し、行政訴訟を起こした。行政を相手にした裁判では、行政側は国民の税金で惜しげもなく裁判費用をまかなうことができるが、原告側はここでも身銭を切って手間暇かけて、しんどい公判を続けていかなければならない。しかし、闘わなければ無視され、意図的に風化すらされていく現実に、大泉さんらは立ち上がらざるを得ない心境を、とつとつと語られた姿が目に焼き付いた。
2日目 東海村から東京日ノ出町へ
 朝食を済ませて、貸し切りバスで東海村から東京都西多摩郡日の出町に移動。11時過ぎに日の出町の谷戸沢廃棄物処分場着。

        ↑たまあじさいの会のメンバー

◆廃棄物処分場見学・現地交流会
谷戸沢廃棄物処分場は、青梅市の中心部から秋川街道を南へ五日市市に向かって6Kmほど、二ツ塚峠を越えた山間部谷間にあり、その谷は南東方向へ開いて、多摩川の支流平井川に注いでいる。1984年に開場したこのゴミ処分場へは、東京多摩地域22自治体375万人分のゴミ焼却灰が持ち込まれ埋め立てられた。ゴミは各自治体の焼却施設で燃やされ(=減容処理)、その焼却灰がここへ搬入される仕組みだ。1998年に埋め立てが完了し、1998年1月からは、一つ山を隔てた隣の谷間に、さらに大きな二ツ塚処分場が開場され埋め立てが始まっている。
 そもそもこの谷戸沢処分場は内陸式管理型処分場と呼ばれ、開場当時厚生省の推奨する東洋一の規模のモデル処分場だったという。安全対策の切り札として厚さ1.5mmのゴムシートが谷底全面を覆い、焼却灰の中の有害物質は地下水などに漏れ出さないとされていた。また、持ち込まれた焼却灰はその日のうちに土をかぶせてしまうやり方だそうで、灰の中の有害成分が風などにより飛散しないと言われていた。
 まず、この処分場周辺の地下水汚染の問題から住民運動が始まり、今日では風下地域での異常に高い癌発生率とダイオキシン汚染の関係などが明らかになっている。
 私たちが現地に着いて、まず注目したのが、処分場の端々に見えるゴムシート。ここに限らず、どこの処分場でもゴムシートさえあれば大丈夫という主張がまかり通っている。そして、どこの施設でも簡単にゴムシートが破れて地下水が汚染されている現実がある。
 処分場を運営する組織にも問題がある。「東京都三多摩地域廃棄物広域処分組合」(以下処分組合)という組織があり、幹部のほとんどが都からの出向者。事務局員も関係22自治体からの出向者。いずれも任期は2〜3年の腰掛け職員だから、中長期的な展望など持つはずがないし、責任をとる体制もない。良心的な首長なんかが処理方法の問題点を指摘しようとすると「お宅のゴミは日の出に持ち込むな」と切り捨てられてしまうという。監督責任のある都の清掃局・総務局は見て見ぬふり。すべてのツケは地元に押しつけられてしまう。
この処分組合の行状でヤクザまがいのとんでもない話を聞いた。1991年から住民たちが事前の公害防止協定に基づいて汚水漏れを監視するための地下水電気伝導度データの開示を求めた。しかし、処分組合は都公害審査会の勧告・調停を拒否。ついで東京地裁八王子支部による証拠保全のためのデータ開示手続きも拒否。さらに1995年3月、同支部のデータ開示仮処分命令にも従わず、間接強制金一日につき30万円の支払いを命ぜられた。それ以来2年近く、毎日30万円ずつ総計2億円もの反則金を都民の税金から支出して、住民に支払い続けたあげく、東京高裁に控訴した。その高裁が不当にも住民にデータ開示権はないという判定を下したがために、処分組合は2億円返還訴訟を起こした。2億円におまけに法定利息年利5%を付けて返還しろと言うのである。元金の2億円は手つかずでとってあったので返還はできたが、千数百万円に上る利息なんて返還の目処すら立たない。代表住民(絵本作家田島征三さんの奥さんだそうだ)は自分の財産を没収されないように処分して、利息の取り立てから逃げ回っているそうである。これが「民主的」国家・行政のやることだろうか。

 処分場を見学した後、地域の公民館で住民運動をしている「たまあじさいの会」の方々と交流会を持った。その活動の中心メンバーの一人の女性は、日の出町の自然にあこがれてぜんそくの子供を抱えて家族ぐるみで都心部から引っ越してきたところが、そこに処分場ができてまさに青天の霹靂。そんな人を含めふつうの市民がやむにやまれず手探りで運動を始めたのだそうだ。この会が今年7月、『たまあじさいは見ていた ー市民による環境調査ー「たまあじさいの会」観測・調査報告書』をまとめた。処分場と癌発生率の関係、風による焼却灰中のダイオキシンなど有毒化学物質の飛散状況実験・現地調査、周辺山林の植生被害の実態調査などなど、とても素人とは思えないきわめて専門的な調査研究の集大成、たいへんな労作である。
 たまあじさいの会でも処分場を巡り行政訴訟を起こしている。担当の弁護士料は年間20万円。弁護士の方の好意でやっているそうだが、その弁護士の人に言われているのは「行政訴訟で勝てると思うな」だそうだ。それでもみなさんの活動に、何ともいえない活気があって、私たち一行大いに敬服。
ところで、神奈川にも同じような条件の処分場がある。構造も、処分方法も日の出村と同じだが、住民の反対運動はあまり起こっていない。横浜市の神明台処分場である。神明台では近くに緑園都市という大規模高級分譲住宅地が開発されたため、汚染などが問題になると地価が下がることを心配して、運動が盛り上がらないか、あるいは押さえ込まれているのか・・・真偽のほどは不明だが、しかるべき調査をすれば日の出町と同じ汚染が明らかになりそうな気がするのだが・・・・。
3日目 
◆NPO,ソフトエネルギープロジェクト(SEP)「蒔田普及啓発センター」見学
 市営地下鉄蒔田駅から5分ほどのところに「SEP普及啓発センター」がある。建物の屋上いっぱいに、3社の太陽光発電パネルが設置されており、常時運転していて比較ができる。一般家庭用の実物パネルなので、太陽電池導入を考えている人などには、大いに参考になる施設だ。その他に一人乗りのソーラーカーや、ソーラークッカー、風力発電機、太陽熱温水器、雨水利用施設、屋上緑化など、自然エネルギー・省エネルギー関連の様々な設備が見られる。そうした機材を文化祭などのイベントで出前展示もしてくれるそうで、総合的学習の時間などで協力していただくことも可能だ。代表の佐藤一子さんは、横浜の県民サポートセンターで県の委嘱を受けて市民活動の情報コーディネーターもなさっている。地域のNPO情報などにも通じているので、我々教員の力にもなってくれている。
(ちなみに、この日の一連の研修も佐藤さんにコーディネートしていただいた。)

◆鶴見・東京ガス環境エネルギー館
蒔田から地下鉄・JR・タクシーを乗り継いで、鶴見の東京ガス環境エネルギー館へ。東京ガスが造った施設だが、きわめて良心的に環境学習に取り組んでいる。環境問題を単に知識として教えるのではなく、手にとって触れる・動かす・体験する・参加する(hands on)ことをコンセプトにさまざまな展示をオリジナルで工夫している。対象年齢はやや低くて高校生にはちょっと物足りない気もしなくはないが、基本は同じ。心を拓いて歩き回れば、興味をそそられるものが結構あるはず。

◆資源リサイクル協同組合事業所見学
 金沢シーサイドライン福浦駅の近くに横浜市資源リサイクル協同組合に所属する4つの事業所がある。この協同組合は横浜市内139の廃棄物処理業者が集まって造っているもので、いわゆる静脈産業の事業協同組合である。そのうち金沢区のこの場所には、古紙とビン、古着、屑鉄の4つの事業所が隣り合わせにある。
@古紙の事業所。集まった古紙をブロックにまとめ、製紙工場へ出荷する。周知の通り、古紙は再生利用できる量に比べ回収量が比較的多いため、回収業者の在庫は増える一方、価格は下がる一方だ。この協同組合が「リサイクルデザイン」という冊子を発行しているが、そこにリサイクル価格が時価で毎月掲載されている(表参照)。このところ価格は低落する一方でとても採算が取れるとは思えない。
 古紙のリサイクルは、回収して再利用すればいつまでもグルグル回っていられると思っていたが、同じ紙の繊維は5回ほど再利用すると、弱く短くなってしまって使えなくなるそうだ。また、再利用の回数が増えるほど、製紙の際に出される廃棄物の割合が増える。従ってバージンパルプを混ぜる割合も増える。しかも、バージンパルプを利用した方が古紙を利用するよりコストがかからない。こうした状況では、森林資源を守るには政策的誘導に頼るしかないし、根本的にはリサイクルを増やすという発想ではなく、総量を減らすしかない。

表 ■リサイクル標準価格表 2001.6.

品名 買い入れ価格 業者売り値
新聞 -1〜0円* 3円
雑誌 -4円** 0〜0.5円
段ボール -4円** 2円
衣類くず 設定不能 0〜1円
アルミ缶 10〜15円*** ---

   *有料の場合あり **有料 
  ***スチール缶と選別済みの価格
●500キロ以上集団回収する団体の適用価格。
 いずれも1キロあたり。

Aビン回収業者のヤードへ。ここで回収された瓶は、種類ごと・色ごとに細かく分けられ、更にリターナブル瓶とそうでないものに大別される。リターナブル瓶でないものはこの後瓶工場で色別に粉々に破砕され、ガラス原料のカレットというものになる。現在このカレットは国内で過剰気味で、瓶工場のお荷物になっている。リターナブル瓶は飲料メーカーに返却され、洗浄・内容物再充填され再び市場に出されることになる。
 ところがリターナブル瓶の種類は急速に減りつつある。瓶でもワンウェイ瓶の方がメーカーにとってはコストがかからない。というと、包装容器リサイクル法があるのになぜ?と思うだろう。包装容器リサイクル法はメーカーにとって、ワンウェイ容器を使ってもよいという、免罪符の役割を果たしているという説明を受けた。同法で定められている徴収金は、現在あるリターナブル・リユースの設備規模を維持運転するために必要な資金を調達するためである。その規模がきわめて小規模なために、徴収金の額は容器一本あたり1円程度にすぎない。従ってメーカーにしてみれば、容器一本につき1円程度の負担をすれば、ワンウェイ容器を大手を振って使うことができる。それ以上にコストのかかるリユースをしなくてもすむのである。同法はワンウェイ容器を促進するための法律になっており、そうなったのもメーカーの圧力によるという。瓶回収業者にしては、事業の存立に関わる事態である。

B古着のヤード(→)。
高い天井の巨大な倉庫いっぱいに古着を束ねたブロックが積み重ねられている。この古着回収の社長が、協同組合の理事長を務める中野聰恭(としやす)氏。中野氏から古着リサイクルの窮状について説明を受けた。
近頃ファイバーリサイクルと称して古着を集める自治体が増えた。集め始めてみると予想以上の集まり具合で、たちまち業者の在庫は満杯。一般に、古着のリサイクルには概ね4つの方法がある。@体裁のよいものは古着として、国内のリサイクルショップやバザーなどで販売可能。(これらは、中野氏の工場にはあまり見られない。) A古着を同じ大きさに裁断して、工場で油汚れなどを拭くためのウェスとして。B繊維をほぐしてクッションやスペーサーとして利用。以上@〜Bの利用法に関しては国内市場はすでに飽和状態で、実際にそれ以上集まっている古着は、C海外へ輸出。中野氏の会社では、フィリピンのスービック米軍基地跡地に、現地の人を雇った古着選別工場をつくったという。そこから、東南アジア諸国へ古着として輸出される。ただし、気候の暑い東南アジアへ輸出できるのは夏物衣料だけで、冬物は輸出できず繊維としてしか利用できないので、困っているとのこと。

C鉄屑ヤード 最後に巨大な電磁石クレーンが動いている鉄屑ヤード。鉄屑はこのところの景気の低迷で鉄屑の値段が下落していて採算ラインを割っているという説明があった。またここでは、ロシアの原子力潜水艦
が入ってくる事があるそうだ。それを防ぐためにトラックの荷台に乗せたまま鉄屑の放射能を測定できる大きなガイガーカウンターがあった。これには、びっくり。
◆循環型社会学習会
 事業所の見学を終え、近くの金沢産業振興センターの会議室で、協同組合の中野理事長、横浜市環境事業局事業推進部減量推進課の石川美枝子課長をお招きして、学習会を持った。
 まず、中野理事長。今の社会は動脈型産業中心で、そのダウンストリームを考慮していない。現在の回収業者の状況は、そうした動脈産業から押しつけられた環境である。昔、例えば江戸時代など廃棄物がそれなりの価値を持っていた。廃棄されたものを拾った者が得をするならば、誰もそれを廃棄しない。そういう社会を作っていかなければならない。そして、廃棄コストを製造コストの中に入れ込むような仕組みが不可欠、云々。その先を言うとすれば政治の出番しかないのではないだろうかと私には思えた。いずれにしても理路整然、説得力ある話。
 続いて石川課長。課長の話で横浜市が廃棄物処理にずいぶんと努力していいることがわかった。たとえば、古紙リサイクル助成に5億円。ペットボトルリサイクルに15億円など。だが、本来これらの費用はメーカーが負担してもバチは当たらない。たとえばペットボトルは、家庭から回収し、分別しまとめて保管して業者に渡すまでを行政が担当している。前述のように、メーカーは現在のペットボトル再商品化設備能力を維持するわずかな負担だけですむのが、現在の容器包装リサイクル法であるという。いうなれば、私たちの税金でメーカーはリサイクルを行っている訳だ。横浜市は中野氏らの協同組合と連携して、市内企業を巻き込んだ廃棄物処理『横浜プラン』を打ち出しているそうだ。政府が動かない現在、一地方自治体の力でどこまでできるか、石川課長はNPOなどの力も借りながら、合意の輪を少しずつ広げて、出来ることをやっていこうとしているようだ。
 一方住民の側にも問題はある。実は、私の地域で課長から申し出を受けた生ゴミコンポスト事業があった。しかし、住民の反対でボツになった。『ゴミは無料で手間をかけずに捨てるもの』そんな意識も問題なのかもしれない。
【4日目に、県民サポートセンターを会場に、北里大学研究所・宮田幹夫氏の化学物質過敏症についての講演を聴いた。氏の話も示唆と警告に富んでいて極めておもしろかった。いずれご紹介したい。】
(県立金井高校 ねぎし)